ナックルボンバーの行方…鋼鉄ジーグの「拳」を探し続けた、僕ら昭和の子供の想い出

今回は『鋼鉄ジーグ』について書いてみたい。
ちなみに、サイトのタイトルに入っている「ビルドベース」は、この作品から引用している。
僕はこの作品に関して、アニメ作品そのものよりも「おもちゃ」の思い出の方が大きい。

鋼鉄ジーグ
引用元:鋼鉄ジーグ – 作品ラインナップ – 東映アニメーション
https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/kotetsuz/

『鋼鉄ジーグ』とは

「鋼鉄ジーグ」は1975(昭和50)年10月から1976(昭和51)年8月まで、日曜夕方6時から放送されたアニメである。

カーレース中の事故で瀕死の重傷を負った司馬宙は、父親である司馬博士の技術でサイボーグとして生まれ変わった。
司馬博士は殺害されて亡き人となってしまったが、彼の知識と意思の全ては巨大コンピューターの中に収められ、マシンファザーとして宙を指導する役目を担うこととなった。
博士が殺される原因となったのは、発掘した銅鐸が侵略者である古代帝国・邪魔大王国の重大な秘密を握っていたからだ。
司馬宙の体内に隠された銅鐸を奪うために、邪魔大王国の刺客が次々と襲来する。
女王・ヒミカの操るハニワ幻人だ。
司馬宙は鋼鉄ジーグに乗り込み、磁力を使った合体や戦闘用オプションパーツを駆使して邪魔大王国に立ち向かう!

引用元:ストーリー – 鋼鉄ジーグ – 作品ラインナップ – 東映アニメーション
https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/kotetsuz/story/

主人公(司馬宙)が変身し、鋼鉄ジーグの頭部になる。
そこに、支援機であるビッグシューターから放たれた胴体・腕・足などのパーツと合体して「鋼鉄ジーグ」となる。

鋼鉄ジーグ本体の技としては

  1. ナックルボンバー(両手を組んで拳を射出する)
  2. スピンストーム(腹部から放つ高出力攻撃)
  3. マッハドリル(両腕に装着するドリルユニット)

などがある。

アニメを観ている時はそのダイナミックな設定を無邪気に喜んでいたが、
これらの「脱着自由なユニット」「飛び道具」の設定が、巡り巡って当時の子供の心を凹ませる事になる。

鋼鉄ジーグ『超合金』の想い出

幼かったので製造メーカーは覚えていないが、「鋼鉄ジーグ」と「ビッグシューター」を親に買ってもらった記憶がある。

当時、鋼鉄ジーグの玩具を発売していたメインメーカーは「タカラ(現タカラトミー)」だそうです。

「超合金」はライバル会社であるポピー(現バンダイ)の商標だったため、タカラは磁石合体シリーズを「マグネモ」(マグネモ11など)というブランド名で展開していたそうです。
本文中では「金属製ロボット玩具の総称」として『超合金』という表現を使わせて頂きます。

買ってもらった当初は、楽しんでいた

丸い磁石でくっ付くパーツ。
バネの力でポンと撃たれる飛び道具。

ボタンを押すだけで、
ナックルボンバーを撃てた。
スピンストームも(ミサイルっぽかったが)撃てた。
ビッグシューターからミサイルを撃つ事も出来た。

アニメの設定に忠実に作られた『超合金』に、当時の僕はワクワクしていたものだった。

何故だろう?だんだんパーツが減っていく…

当時のこの手のおもちゃには「あるある」なのかもしれないが、

  • 間違ってボタンが押されてしまう
  • たまたま、撃たれた物が隙間に潜り込んでしまう

等の理由により、
ポンポン撃たれた飛び道具はゆっくりと、でも確実に「行方不明」となっていく。
バネの力が強すぎて、どこへ飛んでいくか予測不能だった。

また、おもちゃを片付けずに違う事
(テレビでアニメを観る、別の遊びをする、等)
をしている間に、親に適当に片付けられた時に紛失した事もあったかもしれない。

親に訊いても『そんなモン、どこに行ったか知らないよ』と一蹴された、あの断絶感。

ビッグシューターからミサイルを撃てなくなり、
スピンストームも撃てなくなり、
鋼鉄ジーグの手首から先が無くなった。

そうして、いつしか鋼鉄ジーグの超合金で遊ぶ事が無くなっていったのである。

大人になった今、アニメを観ていた時の面白さと共に
後に残された「拳の無い鋼鉄ジーグ」のガッカリ感も心に残ってしまっている。

令和時代の大人が、内容について振り返る

改めて、作品としての「鋼鉄ジーグ」を考えてみる。

現代の常識から考えると、昭和のアニメは問題点が多い。
時代的にやむを得ないところであるが、この作品も例外ではない。

気になる問題点

放映当時は幼かった為、ストーリーを深掘りする事は出来なかった。
大人になった今、ネットで集めた情報を基に改めて考えると、令和の世には合わないと感じる部分がある。

  1. 父に知らぬ間に改造され、事実を知って苦悩する
    本人の承諾も無く、勝手にサイボーグにしてしまうのはヒドい。
    親父の権力が強すぎる設定は、令和の世に受け入れられるとは思えない。
  2. 最終回でも、人間の身体に戻らない
    これは「新造人間キャシャーン」にも見られる設定である。
    元の身体に戻る術として、「キャシャーン」は「父の技術開発を待つ」という望みがあるが、
    「鋼鉄ジーグ」は1話で「父が死亡」し、更に最終回で「マシンファザーも特攻で爆死」する為、救いが無い。
    そこが「原作:永井豪」らしい、と言えなくも無いのだが。

ネットではそれ以外に「各キャラクター設定のブレ」や「最終回に向かう展開の拙速さ」等が問題点として指摘されている模様である。

では、何が面白かったのか

やはり「ロボットやメカの設定が面白かった」という所になるのではないかと思う。

  • 革新的な合体機構
    頭部+ビッグシューターから発射されるパーツが磁力で合体する「ビルドアップ」や、
    体のパーツの一部を換装する「ビルドチェンジ」など、
    パーツ交換でそれぞれ違う鋼鉄ジーグが見られるバリエーションの豊富さが面白かった。
  • 玩具との親和性
    前述の通り色々あったが、必殺技が玩具で忠実に再現可能な所が魅力だったのかもしれない。
  • テンポの良さ
    新しい装備や技の連発で戦闘展開がテンポ良く、細かいことは気にせず楽しめた。

これらは現在のアニメや特撮にも通じるところであり、
「玩具で一体感を感じられる」所は、個人的に特に思うところである。

ナックルボンバーは、今も心の中で飛んでいる

超合金の「拳」は見つからなかったが、
あの丸いマグネットで「カチッ」と合体する音や、
ボタンを押して発射した時のワクワク感は今も鮮明に残っている。

サイボーグの理不尽さや最終回の駆け足展開は、今見ると気になるところもある。
しかし、 「マグネット合体の先進性」と「続々出てくる新しい装備や技のバトルの楽しさ」は、令和になっても色褪せない。

あなたがなくして探し続けた、あの頃のおもちゃは何でしたか?